冒頭で昨日のコーチ、スラッシュがいきなり登場。アリス・クーパーのヒット曲「School's Out」をコンテスタンツと競演した。さすが今も現役でソロもバッチリ決めた。しかし最後のシャウトは誰だったのだろう。まさかダニーではないはず。(笑)
そのダニーが前回やっちまった驚愕のド素人シャウトが、よっぽど全米お茶の間を沸かせたのだろうか。さんざん話題にされていた。
「終わった瞬間、ランディの目が飛び出していた」
「あの瞬間、叔母がTVのスイッチを消した」
「携帯の着信音にした人もいた」
等々、様々なエピドードを語るダニー。
「ステージでは没頭しているので、うまくやれたと思った。しかし家に帰ってビデオを見たら・・・・(汗)」
そのような事も語っていた。自分で自分に対して客観的になるのは、本当に難しい。5位敗退のマットや6,7位敗退のリル、9位敗退の俺のミーガンなんかは、ぜんぜん自分に客観的になれなかった。これができてるのは、今シーズンならアダムくらいだろう。
だからダニーが自分が見えなくなってしまったのも、ある意味仕方ない。しかも自分の苦手なジャンルへの挑戦だったから、余計手探り状態だったのだろう。そんな言わば苦し紛れの中で、おそらくは今後AIファンのあいだで語り草になるであろう珍パフォーマンスを創出してしまったダニー。
しかし結果は、”伝説の人物”をお茶の間が支持する形となった。昨日審査員評が芳しくなかったクリスが初めに呼ばれたが、開放された。次に呼ばれたアダムは、もちろん解放された。最後にアリソンと共に呼ばれたダニーは、今夜が最後なのを覚悟しながらあの場に立っていた美違いない。しかしライアンの宣告は、ダニーではなくアリソンだった。
たしかにウルトラ大失敗ではあったが、痛快なくらいな爽やか大爆笑でお茶の間を笑いで満たしたダニー。このことが結果的にに功を奏してしまったのだろうか。
そして確実に優勝候補のひとりだったアリソンの脱落は、本当にもったいない。今現在持っている歌唱力だけでも相当なのに、17歳になったばかりという若さの持つ無限の可能性に期待していた。
今回ゲストとして登場して新曲「No Surprise」from (from アルバム「Leave This Town」)を唄った、シーズン5第4位のクリス・ドートリーも実にもったいない脱落だった。しかしその後、記録破りの大ヒットアルバムを物にした。そしてアメリカン・アイドル出身者の中でも指折りの成功者となった。そんな、ある意味ゲンのいい第4位というポジションを、ぜひともアリソンは今後につなげてほしい。
上に書いたドートリーは、三組目のゲストとして登場した。その前は、「Just A Girl」 を唄ったグエン・ステファニー率いるNo Doubt。そして今夜最初のゲストパフォーマンスを行ったのが、なんとポーラ・アブドゥル。ヘッドセットマイクを装着して、男性バックダンサーたちと絡みながらステージ狭しと踊りまくる。途中、スタンドに設置されたヴォーカルマイクに近づいたところでハウリングが起きなかったのは、おそらくスタンドのマイクスイッチを入れてなかったから。これは演出だろう。しかしあの無機質な感じと一部の乱れも無い音程は、いかにもヴォーカルトラックをAutoTuneで後処理した感じ。99.99パーセントは口パクだと思う。そんなポーラのパフォーマンス後の言葉がこうだ。
「ステージで歌っている自分がいちばん好きなの」
唄ってねえだろ!と突っ込まずにいられない私だった。
シンギングコンペティションの番組審査員がシンギングパフォーマンスで口パクを演じるという異常事態に仰天しながら、こういうのがショービズ界では半ば日常なんだろうなあと思えなくもない今日この頃。そんな中で、ここ日本で最近音楽ファンを揺るがせた衝撃が、忌野清志郎さんの訃報。享年58歳。
彼が亡くなったのは約一ヶ月前の5月2日。私にとっては、ジョン・レノンの死と並ぶか、それ以上の衝撃だった。不幸にもファンに撃たれてしまった30代後半での若すぎる死だったジョンの時と比べて、清志郎の病死はいわば天寿のまっとう。最後の最後まで自分のポリシーを微塵も曲げずに、やりたい事をやり通しながら天国への階段を登って行った清志郎は、文字通り天逝したのだと思っている。
それでもジョンの死と同じかそれ以上の衝撃というのには、理由がある。私の心の中に、清志郎が深く入り込んでいたからだ。
当ブログの過去記事
「サイモン・コーウェルの必要性」の中でも少し触れたが、私には「闇の時代」があった。どういうふうに闇だったかは、闇すぎるので今回もここでは書きません。15の頃からちょくちょく顔を覗かせていた闇が、18歳あたりから本格化して真っ暗闇に突入。24歳くらいまで続いた。
その闇の中を照らし出した一筋の光が、RCサクセションと忌野清志郎だった。当時の私は、ノイジーだったりアバンギャルドだったり、およそポップスとは掛け離れた音楽ばかり聴いていた。楽しむための音楽ではなかった。ほとばしる若さで無駄に鋭くなっていく感性を満たすために、勝手にいろんな方向へと導かれていった。
そんな中で出会ったRCサクセションは、私にとってはいわゆる普通の音楽ではなかった。今まで聴いた事のなかった重く痛々しい清志郎の歌声が、毛羽立った私の心をほぐしてくれた。一切の無駄を全てそぎ落とした歌詞も好きだった。清志朗のヴォーカルは複雑すぎる響きと繊細すぎるニュアンスを持っていた。それがこのシンプルすぎる言葉を発音する時に、無限の深遠なる世界を創り出した。
アルバム「初期のRCサクセション」では、70年代初期では全く考えられないような批評的で覚醒した言葉を吐きまくっていた。そんなイデオロギッシュなところも、更に私を虜にした。反社会的で過激で辛辣で、どこまでも真摯なアーティストだった。
メロディー音楽に対してほとんど不感症だった当時の私にとって、RCというのは、声と言葉と音響だった。メロディーがいいと思った事は、一度も無かった。だから私の中では、清志朗はポップスとは最も遠い位置にいたアーティストだった。
だから、清志郎の訃報をこのブログで取り上げることに躊躇があった。商業ポップスど真ん中なアメリカン・アイドルとは、どう考えてもつながらなかった。
しかし、オッサン2号さんの書き込みを見て、アメリカン・アイドル視聴者の中に清志朗のファンが居た事に驚きを感じた。でもよく考えてみると、アーティストへの思いや捕らえ方は、人それぞれ違う。私の清志朗への思いは、むしろ特殊なものなのかもしれない。
だから、ロックウィークの今週に、取りあげることに決めた。
清志郎に傾倒していたのは、私がメロディー不感症になっていた闇の時代。だから、もう二十年以上もの長い間、清志郎を追いかけていない。タイマーズは馴染みのレコード店で掛かっていて、すげえ事始めたなあ、と心が騒いだ。「パパの歌」はテレビで聴いた。HISはレンタルで借りた。何年か前に若手ミュージシャンによるトリビュートコンサートをCSでちらり見した。
要するに、私はもう現役の清志郎ファンではない。そんな私が清志郎の訃報を聞いて、あまりの喪失感の大きさに衝撃を受けた。最も感受性の強かった若い時期に、清志朗から受けた影響が私の心の深い奥底にまで達していたという事だ。
RCサクセションの曲を聴いたのも本当に久しぶりだ。YouTubeで昔よく聴いていた曲たちと再会した。そして、新しい発見があった。ポップスとしてのRCサクセションだ。
昔、私が大のお気に入りだった曲に、「まぼろし」というのがある。1981年リリースのアルバム「BLUE」に入っていた曲だ。壮絶な歌詞とこれ以上無いくらい悲痛で力強いヴォーカルが大好きだった。今聴いていても、泣いてしまう。しかしこの曲はそれだけではなかった。今、やっとわかった。実は、メロディーが美しいのだ。
バンドも最高だ。曲の進行と共に曲想が生き物のように変化していく。清志朗のヴォーカルと掛け合うようにギターやサックスがむせび泣く。
このアルバムに収録される5年前に演奏された、同じ曲のライブヴァージョンもある。これはもう、日本ロック史上に残る名演といっていいだろう。ほとばしる感情をそのままヴォーカルに注ぎきってしまう清志朗が凄すぎる。特に後半が壮絶の極み。エネルギーみなぎる声と楽器が泣きまくり、やがてどんどんカオスになっていく展開も最高。映像がやたらに粗いのが、よけいに生々しい。
同じく「BLUE」収録の「多摩蘭坂」は、今聴いてみると普通にいい曲だった。1981年のRCサクセション武道館ライブから。
次は1976年リリースの不朽の名作アルバム「シングル・マン」から一曲。一般には「スローバラード」が圧倒的に有名だが、他にも隠れた名曲ぞろい。「夜の散歩をしないかね」では、シニカルで批評的な顔をこの曲では引っ込めて、ジャジーなバラードという側面が際立った。
同じ曲を、1976年井上陽水の前座としてツアーを回っていた時の演奏から。
ここまでバラードが続いたので、ここでアップテンポをピックアップ。1980年伝説の久保講堂ライブから、「ブン・ブン・ブン」。RC流ポップテイスト溢れるキャッチーなナンバーだ。
しかし、やっぱりこの久保講堂ライブは本当に伝説だ。奇跡のように凄い。日本は愚か、世界ロック史に残る奇跡の名演の目白押し。ということで、このライブ後半残りの曲を全部貼り付けてしまう。RCサクセションがどんだけ凄かったか、まだ知らない人たちは絶対に必見です。
「スローバラード」
「雨上がりの夜空に」
「キモちE」
今回は、懸案だった清志郎追悼特集が実現できて、満足。だから、日本版アメリカン・アイドルでDJ KAORIがドートリー新曲PV紹介中の棒読み原稿の中に出てきた単語「ボー・バイス」を「リーバイス」のイントネーションで読み上げてしまったことなんか、触れてあげない。
しっかり触れてるよ!
と突っ込む貴方の気配りに支えられながら終わるっていうのも、なかなか乙なものではないだろうか。
そして最後に
忌野清志郎さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
tsサイモン
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